1991年、岡本健一とMotom(dr.) が共にオーガナイズしていたワンナイトROCKイベント『club ADDICT』で意気投合、仲間を集めバンド結成。当時制作中だった男闘呼組5枚目のアルバム三部作では岡本作詞・作曲の楽曲でレコーディングに参加。1993年、カルメン・マキ&OZの凄腕ベーシスト、川上シゲの正式加入により1994年メジャーレーベルから1stアルバム『ADDICT OF THE TRIP MINDS』をリリース。しかし翌年の1995年2ndアルバム制作直前に突如解散してしまう。
2020年、その後も親交を続けていた岡本とMotomが『カルメン・マキ&OZ 2019 45th Anniversary and “the Last Tour”』での川上のプレイを見てADDICTの再結成を決意。川上も賛同。2021年、お互いの感性が響き合うギタリスト・田中志門を迎え、2021年12月5日渋谷VISION TokyoでのLIVEで27年振り再始動した。
有料生配信されたこのライブの模様は、今の時代だからこそ響く、岡本の詞世界とパフォーマンスがあの独特なサウンドと共に全国のファンに披露された。だがADDICTの真骨頂、生の音世界を体感出来るのはライブ会場だけである。是非、ライブ会場に足を運んで体験して欲しい。
岡本 健一 Kenichi Okamoto / Vocal & Guitar
川上 シゲ Shige Kawakami / Bass
Motom / Drums
田中 志門 Shimon Tanaka / Guitar
☆ 岡本 健一 OFFICIAL WEB サイト ☆
okamotokenichi.com
1991年、寺田倉庫で始まったワンナイト・ロック・クラブ『club addict』(クラブ・アディクト)。90年代初頭、東京のクラブシーンはHipHop/House系のクラブが主流でRockをメインにしたクラブは都内に存在しなかった。そこへ突如ポールダンサー数名を配したLAスタイルの『club addict 』が東品川の倉庫街に出現する。
折しも海外ではグランジ・ムーブメントが沸き立っていた頃である。彼らは繁華街から離れたWAREHOUSE(倉庫)をワンナイトで借り切り、DJ-fumiらを筆頭に数名のDJ達がグランジ、パンク、サイケ、Heavy Metalなど様々なLoud Musicを爆音で繋いでゆく。倉庫特有の屋根の高い空間で5-6名のポールダンサーが宙を舞う光景はまさに異次元だった。ここではライブも頻繁に行われた。この異空間が噂を呼び、音楽好きのクラブ・ピープル達が小さなフライヤーの情報と、ひと気のない倉庫街から遠く漏れ聞こえるサウンドを頼りに続々と集まって来た。当時はスマホどころかネットすら無い時代である。その『club addict』を発案し立ち上げた主謀者がMotm、岡本健一、そして当時ストリート・カルチャー誌では最も勢いのあった「Fine」の編集長大野俊也氏の3名であった。『club addict』の成功で意気投合したMotmと岡本は仲間を集めバンドを結成する。
*DJプレイ中の岡本と、後にMotm/1993年頃
岡本のカオティックな世界観と音楽性は、このバンドのエッセンスが加わった事でさらにディープな世界へと突き進んでいく。途中、70年代伝説のバンド、カルメンマキ&OZ*の凄腕ベーシスト・川上シゲが加入するとバンド・サウンドが格段にグレードアップ。川上の弾くヘヴィかつ凶暴なグル ーブは岡本の創り出す世界をさらに引き立てて行く。のちに場所を「西麻布Yellow*」に移した『club addict』では、深夜2時過ぎから始まるステージで常に異彩を放っていた。
結成2年足らずでメジャーレーベルと契約。レコーディングはバンドのライブ感を出すため古巣の寺田倉庫を5日間借り、歌と演奏を同時に一発録音した。そしてこの時期、のちに伝説となった「3ヶ月連続ライブ at 寺田倉庫」が行われる。
東品川の湾岸エリアに位置する寺田倉庫はこの当時、倉庫事業から音楽スタジオやレストラン事業に切り替わる最中で、現場には積載パレットやリフト車が散見し、海に面する湾岸側ではカフェ・レストランの内装工事が始まっていた。この渾然一体とした空間で94年1月、2月、3月と毎回、特設ステージを組んだ「3ヶ月連続ライブ」が行われた。回を重ねるごとに動員が増え、3月のライブでは会場に入りきれずに入場制限が出てしまう。
寺田倉庫LIVE_開場前1994.03.25
・Terada LIVE vol.0 Poster & Ticket_1994.01.29
・Terada LIVE vol.1 Poster & Ticket_1994.02.28
・Terada LIVE vol.2 "Black Light"Poster & Ticket_1994.03.25
寺田倉庫のライブを終えたメンバーはレコーディングの仕上げにアムステルダムへと渡蘭する。フランスからフォトグラファー、JC Polien氏を呼び寄せ、8mmフィルムの映像や宣材写真の撮影を行った。
その後、世界的エンジニア、Goh Hotoda氏*の待つNYへと飛び、彼のミックスを経て1994年8月、1stアルバム『ADDICT OF THE TRIP MINDS』リリース。
そのサウンドはヘヴィでダーク、サイケでカオティック。自己の内面を抉り出す歌詞は、独特な感覚を放ち、嵌ってしまうと抜け出せなくなる。岡本のクールかつ扇情的なパフォーマンスはライブを重ねていくうちそれまでとは違ったオーディエンスを獲得。また多くのミュージシャン達の熱い注目を浴び、確実に当時の日本のロックシーンに一石を投じていた。
アルバムリリース後のライブは、既に西麻布Yellowではキャパオーバーとなっており、川崎クラブチッタ*、渋谷ON AIRなど、大型ライブハウスへと会場が広がっていった。
*Goh Hotoda(ゴウ・ホトダ)
1987年ニューヨークに移り、マドンナを始めディペッシュ・モード、坂本龍一など数々の国内外の一流アーティストの作品を手がけ、トータル6000万枚以上の作品を世に送り出す。2度のグラミー賞受賞作品など世界的評価を受けている音楽プロデューサー、ミックスエンジニア。
*西麻布 space lab YELLOW
1991年から2008年の16年間、西麻布に存在し、東京のダンスミュージックシーンを牽引したクラブ。ハウス、テクノをはじめ様々なアンダーグラウンドミュージックがかかるパーティーが開催され、国内外のトップDJ/プロデューサーが毎週末出演していた。
*川崎クラブチッタ
1988年「クラブチッタ川崎」としてオープン。2000年に周辺地区の再開発に伴い、一旦クローズして移転改築に入る。2002年1月よりリニューアル・オープン。国内外数々の有名アーティスト達がチッタで行った名ライブを壁面展示する巨大パネルは圧巻である。1988年~現在まで、ここを聖地として扱うアーティストも多い。
*カルメンマキ&OZ
日本のロック黎明期を代表する伝説のグループ。1972年にカルメン・マキが春日博文らと共に結成。1975年の1stアルバム「カルメン・マキ&OZ」が大ヒット、日本ロック界の金字塔となる。アルバム収録された12分に及ぶ大作「私は風」は今も多くのアーティストにリスペクトされ続けている。1stアルバムの録音後、後期OZの音に決定的影響を与えた川上茂幸が加入し黄金期を迎える。1976年2nd「閉ざされた町」、1977年3rd「カルメン・マキ&OZ 3」、そして1978年「カルメン・マキ&OZ LIVE」のライヴアルバムを最後に活動停止。2018年、奇跡的41年振りの単独公演を行い音楽業界とロック・ファンに衝撃を与える。2019年にはデビュー45周年を記念した全国ツアーを行い大盛況となった。現在も精力的に活動を続ける。